寄附をすることについて考えてみる(その1)

おみくじ

思えば、給料の一部を寄附するようになってからずいぶん長い年月が経ちました。

 

私がはじめて寄附をしたのは社会人2〜3年目の頃。

寄附のきっかけは、当時読んだいろいろな自己啓発書の中に「お金持ちは収入の10%を寄附している」という記述をよく見かけたからです。

言ってしまえば「寄附をすることで私にもお金持ちになるチャンスが巡ってくるんじゃないか?」といった、今となっては微笑ましい他力本願的な欲に突き動かされたわけですが、
その一方で、「収入の一部をわざわざ寄附する人の気持ちを体感してみたい」という妙な好奇心があったのも事実です。

 

当初は知名度のある公益財団法人に毎月3,000円ほどを細々と寄付していました。

あまりにも手軽なため、特に大きな心境の変化もないまま何となく続けていたというのが正直なところですが、そんな中途半端な心持ちであっても寄附をすることの意義を感じることは確かにありました。

 

どんなときに寄附の意義を感じられたのかというと、一番は 精神的に落ち込んでしまって自分の存在価値すら感じられなくなりそうだったとき です。

 

精神的に落ちているときというのは不思議なもので、客観的な事実がどうであれ、とことんまで自分自身の価値をディスカウントしてしまうものなのですが、
そんなときに

「とはいえ、少なくとも月に3,000円分は人様のお役に立っているんだよな」

と事実に基づいて考えてみることで、ずいぶん気分は救われていたような気がします。

 

つまり、寄附をすることでことさら自己肯定感が高くなることはないにしても、ある一定のラインまで自己肯定感を底上げしてくれるくらいの効果はあるんじゃないかな?という気がします。

 

※ そういえば初詣で引く「おみくじ」なんかも広い意味では神社への寄附になりますね(・・・というわけで、今回は御神籤の写真を載せてみました)