私の信仰について
信仰というものについて、ふと思ったことを書いてみます。
私はこれまで自分自身について、(おそらく日本に生まれ育った多くの人たちと同様に)特定の信仰を持っていないと思ってきました。
しかし最近、いろいろな哲学や思想に触れて感じるようになったのは、
実は私は「理学(私の場合は特に物理学)」に対して結構な信仰心を持っているのかもしれない、ということです。
科学といったときに一般的にイメージされやすいのは「工学(エンジニアリング)」のほうだと思います。
工学が、自然界の制約に従いつつも、その制約(メカニズム)を人間のためにどこまでも活用していこうとする人間中心の学問なのに対して、
理学(特に物理学)は自然界のメカニズムそのものが興味の対象であり、それが人間の役に立つかどうかはともかく、ひたすらその対象に近づいていこうとする自然中心の学問です。
そしてそんな物理学の根底には、「そもそも世界は調和している」という、自然界に対する無条件の信仰(もしくは強烈な憧憬)があるような気がするのです。
実際、私がこれまでに出会った物理学の先生たちは、
「物理現象をごくシンプルな数式であらわすことができたとき、世界が美しく、人生がバラ色になったように感じる」
「物理学をとおして自然界の調和にふれると、何か大きな意思の存在を感じて感動せずにはいられない」
と熱く語るくらい、「自然界の調和(シンプルさ、美しさ)」に対していかにも敬虔な人が多かったですし、私もほぼ同じ感覚を抱いています。
そして工学の「メカニズムが解明されなくても、人の役に立つならどんどん活用すべし」というたくましい姿勢と対比すると、そのストイックさは随分際立っていて面白いなと思うのです。
こんなふうに改めて自分の信仰(何を無条件に信じ、何に美しさを感じるか)を自覚してみると、
自分でも不思議だった過去の自分自身の言動や思考も、実はその信仰に裏打ちされたものだったのかもしれないなぁと、妙に腑に落ちてきます。
私がヨガなどのインド哲学の世界観に共感しつつも、それに一体化したいという衝動が起きないのは、私の中の物理学的な世界観が大きすぎたからなのかもしれません。
さてこれを読んでいるみなさんは、意識しているにせよ意識していないにせよ、心の中にどんな信仰をもっていますか?