広島に生まれて

原爆ドーム

広島に原爆が投下されてから71年目の夏がやってきました。

広島に住んでいると、何とも言えない独特の雰囲気(祈るような静けさ)を街中に感じる時期でもあります。

 

 

広島の原爆について思うこと

 

今でこそ広島市内(爆心地から約2kmの距離)に住んでいる私ですが、元々の生まれは広島県の東の外れの地域です。

広島県内という土地柄、第二次世界大戦や原爆を題材とした「平和学習」が盛んで、それこそ小学校に入る前から高校を卒業するまでの間、様々な資料(映像や写真や手記や証言など)を通してそれらの悲惨さを目の当たりにしてきました。

 

ただ自分でも不思議なのですが、原爆というとなぜか私は、「反戦」や「平和」などといった漠然とした理念よりも、「自分が生きることの根源的な意味」について深く考えてしまいます。

 

例えばあの日の広島に自分が存在していたとして、

  • 凄惨な光景を目の当たりにして自分を見失わずにいられるだろうか?
  • 自分のことで精一杯の時に、人を助けるための行動ができるだろうか?
  • 目の前にいる人の命を諦めなければいけない時、何を感じ、その後どう折り合いをつけるだろうか?
  • 絶望的な状況の中で、ひとり生き残った自分を許せるだろうか?

といった具体的なことを妙に真剣に考えてしてしまうのです(私の祖母が入市被曝者であることも関係していると思います)。

 

要は「極限状態の中で自分は人としての尊厳(希望)を失わずにいられるだろうか?」という根本的な疑問なのですが、

こういった自問自答の積み重ねは、今現在の私の死生観や人生観にもかなり影響しているのではないかと思います。

 

※ この疑問の答えの一端は、V.E. フランクルの「夜と霧」という本に示されているような気がします。

 

 

戦争について思うこと

 

原爆が私にとってとても身近な問題(Issue)だった一方で、私の中ではすっかり「戦争=原爆」という強いイメージができあがっていたため、
つい最近まで「戦争とは何か」について冷静に考察することができていなかったように思います。

 

今でこそ「過去に起こった戦争を冷静に俯瞰しておきたい」と強く感じていますが、そう感じるようになったのは「太平洋の試練」という1冊の本を読んだのがきっかけでした。

 

 

この本の中では、

  • 当時の公的な文書
  • 戦場で飛び交う交信記録
  • 各新聞社の報道記事
  • 公人もしくは私人の手記

といった膨大な資料に基づく太平洋戦争初期の様子が色鮮やかに描き出されているのですが、

そこから浮かび上がる当時の人々の考え方や感じ方は、平和な現在に生きている私の感覚からしても十分に理解できるものばかりで、

戦争というものが決して「正気(良心)を失った邪悪な人々」によって進行するものではないのだと改めて気づかせてくれます。

 

つまり「戦争とは何か」を考えるとき、戦争の一番悲惨な部分(特殊な状況下での人間の残虐性)をクローズアップするだけでなく、

そこに至るまでの

  • 歴史的背景
  • 国際関係
  • 政治
  • 経済
  • 世論や思想
  • 人々の生活状況

などを丁寧にひも解いて理解していく必要があるんじゃないかと思うのです(とても根気のいる作業ですが)。

 

そうやって得た、現在のイデオロギーによって脚色されていない知見があって初めて、過去の戦争を本当の意味で振り返ることができるし、未来への糧にもしていけるのではないかと思います。

 

※ 以下は、過去の戦争について別の視点を与えてくれるかもしれない、オススメの本です。

 

※ 1945年7月23日から9月2日までの出来事を淡々と綴るこちらのTwitterアカウントもオススメです。

 

 

以上今回は、広島の原爆や戦争について思うところを書いてみました。