こころとからだの平和(最終日)
この2日間、「こころとからだの平和」について文章を綴ってきました。
最終日の本日は、私がよく行う「こころとからだの平和の求め方」について書いてみようと思います。
例えばずっと我慢してきたものが限界に達してしまったとき、大切な誰かに裏切られたと感じたとき、大事な何かを失ってしまったとき、
きっとこころには堪え難い苦しみが生まれ、からだの生理機能もかなり乱れてしまっていることだと思います。
実は私自身、よくこんな状況に陥ってしまいやすいのですが、そんなときは以下のような手順でこころとからだの平和を求めるようにしています。
問題となる状況から物理的にはなれよう
急激なストレスを受けた時、こころやからだは臨戦態勢に入り、判断力は低下し、まともな行動ができなくなってしまうのは当然のことです。
そしてそんな状態でいくら状況を改善しようとしても、事態は深刻になるばかりです。
まずはそれを思い出し、自分がその状況にあると自覚したら、できるだけ速やかにその場から離れるようにします(この際、どんなに自分が無様でも仕方ないと腹をくくります)。
安全な時間と場所を確保する
差し迫った状況を回避できたら、次は誰にも邪魔されない安全な時間と場所を確保します。
心身ともに疲弊してしまっているときは、まずは何も考えずに休養をとります。
もしいくらかでも余裕があるようだったら次のステップに進みます。
「私」の状態を観察しよう
安全な時間と場所で「私」の状態を確認します。
例えば
- 今、どんな気分か?
- どんな考えが浮かんでいるか?
- どんな感情があるか?
- もし目に見えるとしたらそれはどんな色や形をしているか?
といったことを細かく観察していきます。
文字を書くのが苦手でなければ文章にしてみてもいいかもしれません。
私の場合は、コラージュの技法を使って観察した結果を視覚化することが多いです。
(慣れている人だと、ボイスレコーダーに自分の感情を吹き込んで直接それを聴くこともあるらしいです)
ここで気をつけるのは、観察した結果がどうであれ、それに対して罪悪感を感じたり恥たりする必要はないうことです。
「私」はその時々の状況によっていくらでも変化し得るので、今がどんな状態であってもそれが未来永劫続くわけではないのです。
もしどうしても「私」に対して批判的になってしまったり、罪悪感を感じて苦しくなってしまうときは、心が穏やかに安定している人に話を聴いてもらうといいかもしれません(間違っても心に余裕がない人に話をしないようにしましょう)。
からだの状態も観察しよう
自分のからだの状態も観察します。
- どの部分に力が入っているか?
- どの部分から力が抜けているか?
- 呼吸や鼓動の状態は?
- 指先の感覚は?
など、全身をくまなくチェックしてみます。
自分の感情がからだのどこに現れているのか?という視点で注意深く探ってみるといいかもしれません。
こんなふうに「私」の状態や「からだ」の状態を具体的に観察していくと、次第につらい状況と自分とを切り離して考えることができるようになります。
つまり、激しく揺れ動いて右も左も分からなかった状態から抜け出し、客観的な視点で自分自身をみつめることができるようになるのです。
純粋な思いを見つけよう
「私」や「からだ」の揺れ動きが穏やかになってきたら、自分の本当の思いをみつめてみるといいかもしれません。
- あの状況の中で、本当はどうしたかったのか?
- (相手がいる場合、)本当はどうしてほしかったのか?
- それはなぜか?
といったことを静かに感じとってみます。
そこには必ず、こころの底から湧き出たような、疑いようのないとても純粋な思いがあるはずです。
それがまさに、「存在感のある空っぽの空間」が持っている意思のようなものなのだと思います。
たっぷりの休養を
純粋な思いを見つけたら、何はともあれ休養をとります。
無理やり何かの行動につなげようとしなくても、こころとからだが元気にさえなれば、純粋な思いに沿った(つまりは調和した)行動ができるようになるはずです。
以上が私なりの「こころとからだの平和」の見つけ方となります。
このプロセスでは「存在感のある空っぽの空間」と「私」と「からだ」をできるだけ分けて認識してみるのがポイントかもしれません。
最初は「私」と「からだ」の反応にばかりに意識が向き、そのレベルで安定しようと必死になってしまいがちですが、
そのうち自分の中に「存在感のある空っぽの空間」を感じられるようになると、不思議と自分を悩ませていた状況は「自分を混乱させる厄介なもの」ではなくなっていきます。
静かで安定したものをみつけよう
自分の中の「存在感のある空っぽの空間」を見つけにくい場合は、別の静かで安定したものに寄り添ってみるといいかもしれません。
例えば私の場合、
- 不要なものが何もない部屋
- 宮島のククノチの聖木
- 物理学の理論
に触れたり、
- 瞑想
- ヨガ
- ものづくり
などを実践したりすることで、比較的速やかに「こころとからだの平和」を取り戻すことができます。
最後に
以上、3日間にわたり「こころとからだの平和」について文章を綴ってみました。
ちなみにこの「こころとからだの平和」というテーマは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で、天城流湯治法 杉本錬堂さんからバトンとして始まったものだそうです。
本来なら私も次の方を指名するところなのですが、是非いろいろな方の文章を読んでみたいので、今回は勝手ながらお題というかたちにしたいと思います。
もし「こころとからだの平和」というテーマに興味のある方がいらっしゃいましたら、是非ご自分のブログに文章を綴ってみてください。
- あなたにとって平和とは何でしょう?
- あなたがこころの平和を感じるのはどんなときですか?
- あなたがからだの平和を感じるのはどんなときですか?
- こころとからだの平和のために、意識していることはありますか?
例えば以上のようなことについて、自由に書いていただければ幸いです。
ブログ等で文章を公開したときは是非、コンタクトフォームまはたTwitterでご一報ください。
後日このサイトでもご紹介させていただきたいと思います。