「自由」についておもうこと

先日、「『自由』についてどんな考えを持っていますか?」という旨のご質問をいただきました。

改めて考えてみると、「自由でいる」ということは私の人生において重要な要素の一つでもあるような気がしますので、
今回は私が思う「自由」について思いつくことを書いてみたいと思います(チラシの裏に書くような内容です)。

 

「自由」と聞いて思い浮かぶのは、「自分の好きな時に好きな場所に行き、好きなことをする」といったような、何者にも制限されない行動や思考の自由かと思います。

以前の記事にも書いたように、私が持たない暮らしを意識するようになったのも、多かれ少なかれ「雑多なことから解放されて自由になりたい」という思いがあったからですが、

しかし実際には、

  • 生活のために自分の時間を消費して働かなければいけないし、
  • 時には自分の行動や考えを制限してでも他の人に従わなければいけないし、
  • そうでなくても病気をしてしまったり身体が不自由になってしまったりしたら、そもそも自分の思う通りに行動するなんて無理・・・

などと考えると、果たして自分の意思で自由でいることは可能なんだろうか?という疑問が浮かんできます。

 

実は今現在の私は、「何者にも制限されない行動や思考の自由」なんてものは存在しないし、そんな自由を求める必要もないのではないかと考えています。

なぜなら、私が今こうして生きているのは、これまでに感じてきた様々な「不自由」のおかげでもあると思うからです。

 

例えば、

  • 生まれ育った家庭環境や自然環境
  • これまでに受けた教育
  • 社会情勢や世論、流行
  • 怪我や病気
  • 自分以外の人間の存在

といった、自分自身の意思ではどうにもできない「外部からの制限」というのは必ず存在し、無くなることはありません。

しかし、そういった制限があるからこそ私は「不自由」を感じ、不自由を感じるからこそ「自分の輪郭(他者との違い)」をより鮮明に自覚することができ、その自覚が「外部との調和」や「自分の幸せ」への道筋を教えてくれるんじゃないかと思うのです。

 

おそらくですが、もし私に自由があるとしたらそれは、「何者にも制限されない行動や思考の自由」ではなく、

  • 今ある「不自由」に対してどのような意味づけをし、
  • 自分の幸せのためにその「不自由」をどのように使うのかを選択する自由

なのではないかという気がします。