寄附をすることについて考えてみる(その2)
前回の記事では、寄附を続けることで実感した寄附の効果について書いてみました。
月々3,000円の寄附を開始して以来、寄付先の団体をかえたり、月々の寄付金の額を増やしたりなどの変化はあったものの、寄附自体は現在も継続中です。
その過程で、寄附に対して当初とはまた違った感覚を持つようになってきたので、今回はそのことについて書いていきたいと思います。
寄附というと、「飢えや病気で苦しむ人を救済する」や「地球規模の重大な問題を解決する」といった大きな目標を思い浮かべてしまいますが、
それらの目標に対して内心で気後れを感じている場合、寄附をしている自分を「偽善」に感じてしまうことがあるような気がします。
私自身、はじめの頃は特に明確な問題意識を持っていなかったため、適当な団体に適当に寄附をしている自分に対してほんの少しの罪悪感を感じていました。
そんな私ですが、ここ数年で改めて感じるようになったのは、
寄附というのは「誰かを助けるため」や「何かを解決するため」というよりは、自分がどんな世界を望むのかを意思表示するための手段と考えるのがしっくりくるんじゃないか
ということです。
もっと掘り下げていうなら、自分の身の回りのIssue(問題・関心ごと)に対し、どんなふうにコミットメントしていくのかを自分自身に動機づけるための手段 なのだという気がします。
こんなふうに考えると、どんな団体に寄附をするのか(またはどんな団体には寄附をしないのか)の基準もより具体的になっていきます。
例えば私の場合、
- 「成長」「シンプル」「心地よい」といったキーワードに合致する
- できるだけ地に足のついた
- 持続可能な(好循環の生まれる)活動をする
というのが自分自身の目指す方向性であり、
同時にそういう活動をしている人や団体に対してできるだけ寄附をしていきたいと、今現在では考えるようになりました。
そして、寄附をしたくないと思うのは、
- 義務感や罪悪感を過剰に煽って寄附を募る団体(「成長」や「心地よい」のキーワードに反する)
- 掲げる目的と活動内容が一致していない団体(「シンプル」のキーワードに反する)
- 何かに対する反対運動をするのみで、発展的な活動をしていない団体(「成長」のキーワードに反する)
といった感じです。
最後に・・・・
去年(2015年)のはじめに密かに掲げた目標のひとつに「給与所得の4.5% と その他の所得の8% を寄附に当てる」というものがありましたので、経過を報告しておこうと思います。
去年はおかげさまですべての収入の 約5.9% を寄附にあてることができました。
去年の収入から計算すると、「給与所得の4.5% と その他の所得の8%」というのはすべての収入の 約4.9% に相当しますので、目標はめでたく達成ということになります。